お袋との生活 その8。

皆さん、こんにちわー。

お袋の入院を頼める病院に、面接に行きました。殆ど知識が無かったのですが、有る程度、余命宣告がなされていると、受け入れてくれる所が少なくなります。

それは意外にも、我が家から、割と近い場所に有りました。主に終末を、迎えた方が、お入りになる病院だそうです。ケアーマネジャーさん曰く、此処だけの話あそこに入院すると、帰って来れないと言われています、と仰っていました。

現実、お袋は、余命宣告されており、それに当て嵌まるのだと思います。

予約をして、約束の時間に伺いました。落ち着いた感じの(悪く言えば、少し暗い感じの有る)、病院でした。

市民病院に癌の検査入院した際、迎えに行きますと、担当した看護師さんと波長が有った様で、もう此処から帰りとう無いと、駄々を捏ねる姿も有りました。凄く可愛い感じのする女性の方で、お袋にも、私の妹の所に孫が居ましたから、そんな事を思い出して、楽しい時間だったのではと考えていました。

此処は市民病院とは、大分印象が違うなぁと思いつつ、費用の話をして、病室も見ますか?と仰って頂いたので、案内してもらいました。

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看護師長さんが、案内してくれましたが、体格の良い男性の方で、私の年代ですと、看護師さんは、まだまだ女性と言うイメージが有って、少し驚きました。

病室を見ますか?と言われ、“では、1か所見せて下さい”とお願いしました。私も、お袋が来てから、ショートステイ等の入所先を見学に行く機会が多くなっていて、色々な御老人がいる場所にも行きましたので、ある程度の免疫が有るつもりでした。しかし、此処の病室は、かなり衝撃的でした。6人部屋では有りましたが(市民病院は4人部屋)、どの患者さんも、目が虚ろで、あーあーと奇声に感じる声を出している方も有りました。説明では、聞いていても実際に目の当たりにすると、理屈抜きにそういう所なんだと感じます。

看護師長さんも、私のそんな雰囲気を見て取れたのでしょうか、“此処は、緊急を要する患者さんが多いので、ナースステーションから近い病室程、重度の方が入院されています(見せて頂いたのが一番近い部屋)。お母さんの場合は、未だすぐに何かと言う感じでは無いので、少し離れた落ち着いた所に、入って貰えると思いますよ、とお気遣い頂きました。

続いて、担当の先生にもお会いしました。これも以外で、凛とした感じのする、女性の方でした。“市民病院からカルテが来ています”と仰り、一通りの話の後、

“延命治療はされますか?”

と何の説明も無く非常に直球で聞かれ、少々腹が立った事を覚えています。そりゃ、出来るだけ長く生きて貰いたいに決まってる!なんでそんな事を聞くのか?精一杯、やってもらいたい!そんな思いで、口籠っておりますと、“可能か限りの延命治療は行いますが、心臓マッサージは、脆くなった骨が肺に刺さってしまったり、過剰な強心剤等の投与は、返って本人が苦しい場合も有ります”と仰り、更に現実を突きつけられた感じです。

“延命治療は、しなくても大丈夫です”

そう答えました。丁度コロナ過で、重度の患者さんが多い事も有り、面会は、一月に一回、テレビ越しの面会になります。と説明を頂き、帰って来ました。

1月の下旬頃で有ったと思いますが、入院日となり妻と二人、お袋を送って行きました。入り口で、車椅子を借りて、病室まで案内して貰いますと、“こちらのお部屋になります”と担当してくれた方が仰いました。それが、まさに面接の際に見せて頂いた、ナースステーションに一番近い部屋の窓際の明るい所だったのです。心の中で、色々思いましたが、口には出さず説明を聞きました。コロナの時期なので、面会は出来ませんが、緊急時にはこちらからご連絡致します。その際は、病室まで上がって頂き、お部屋に入って頂いて、大丈夫です。出来るだけ、配慮をして連絡致しますが、長時間、お待ち頂く事が出来ませんので、最後に間に合わない事も有りますが、ご了承下さい、そう説明して頂き、いよいよ覚悟が必要なのだと感じました。

それからは、妻が、洗濯物やおむつを届けてくれていましたが、面会は出来ず、荷物の受け渡しも入り口でやっていると言っていました。

一月経って、1回目のテレビ面会が有りました。あの、体格が良い看護師長さんが来てくれ、一寸、食が細くなりましたが、容体は安定しています、只、少し老人性うつ病が有り、死にたいと口にする事が有りますと言っていました。

そうですかと答えつつ、今、何か出来る事も無く、宜しくお願いしますと伝えました。テレビ面会のお袋はカメラに慣れていないのか、会話は出来ずでは有りましたが、姿は見る事が出来ました。一生懸命、妻が声を掛けていましたが、反応は無く、虚ろな目をしていた事を、覚えています。

“お母さんは3月8日が誕生日だから、先ずはそこまで頑張れると良いのにね”妻が、ポツリとそんな事を言っていました。

次号に続きます。

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