お袋との生活 終話。

皆さん、こんにちわー。

3月の初旬、お袋の誕生日には、未だ幾日か有りました。

お昼間、病院から電話が有り、急いで向かいました。到着してみると、急激に、数字が下がったのですが、今は安定しています、と仰られ、一旦、帰る事にしました。それから、数日経って、今度は夜に電話が有りました。 今回も、急いで病院に向かい、病室に入りました。周りには誰も居らず、付いていた機械を見ると、動いていない様です。少しして、若い男性の看護師さんがいらっしゃいました。“お母さん、お亡くなりになりました”そう仰った様に思います。その方が、機械を外したりしながら、涙を流してくれていたのが、凄く印象に残っています。その様なシーンの沢山有る病院で、全く他人のお袋の為に涙を流してくれる若い看護師の姿を見て、それまでも一生懸命やってくれたのだと感じました。女性の看護師さんも来てくれて、ロビーで待っている間に、体を綺麗にして、少しお化粧もしておきますねと言ってくれました。

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“誕生日には、届かなかったね”妻がポツリと言っていました。

葬儀社の手配をしながら、待っていると、担当の先生も来てくれ、“急に容体が変化しましたが、最後は苦しい事も少ない穏やかな最後でした”と仰られ、少しホッとしました。

お袋の用意が出来て、霊安室まで案内されて、お顔を見せてくれました。普段、殆どお化粧などしない人でしたので、綺麗にして貰ったお顔は、生前よりもっと穏やかに、そして華やかに見えました。

お迎えが来て、車が出発する際には、わざわざ先生も見送ってくれて‥‥‥。

バタバタと葬儀も済んで、これで、一通り終わりました。

妹が亡くなり、1年も経たずにお袋も亡くなり、慌ただしい感じでしたが、これで良かったのか、精一杯で来たのかと考えます。母自身が一人暮らしを、強く望んでいましたし、多少の危険が有っても、もう少しそうさせてやっていたら、病気の進行が遅れたのではないのか?急激に進行した認知症では有ったのですが、その原因の一つに同居生活が有ったのではとも考えました。病院に行ってからも、個室と言う訳にはいかず、大部屋で‥…。私にもっと経済力が有れば、窮屈な思いをさせなかったのではないか?ゆっくりした最後になったのではないか?大して親孝行の出来ない息子ですみません。父も母も妹も亡くなり、自身の家系では、私一人が残りました。皆に貰った命だと言考えて、自分の身の丈分、精一杯頑張ります。

今回、実際に起こった事を一つ書きます。お袋が、未だそれほど悪い状況では無かった頃、もし、入所を希望するなら、早めに申し込んだ方が良いし、見学だけでも行って於いたらと、ケアーマネージャーさんに勧められました。費用の問題、自宅からの距離の問題など考慮して、5件ほどに絞り込みました。それでも、まぁまぁ年金暮らし程度の収入で、3食付いて、生活が出来る場所が有りました。日本は、高齢化社会だから、そういう部分は、しっかりしているなと感じます。

只、今すぐに入れますと仰って頂いた所は、1件も有りませんでした。何十人も待機している方がいて、順番待ちで、それでも、その時は、さほど心配はしていなかったのです。参考までに、高額料金の入居施設は沢山、空いていました。

地獄の沙汰も金次第です。(汗)。

お袋の場合は、癌になったので、病院で最期を迎えましたが、そうでなければ、入所先の選考に苦労した様に思います。

仮申し込みをした、どの入所希望先も、ちゃんとしていて、お袋が亡くなって数か月経った頃に、空きが出来たのですが、如何ですか?と連絡が有りました。

その度に、“母は亡くなりました。”と答えるのは、一寸、辛かったのですが、お電話頂いて、有難い限りです。

経済的な事も、含めて入所先を考えるなら、早期に下見に行かれる事は、大事だと感じます。それが、周りの安心も生んで来るのだとも感じます。

最後になりましたが、お読み頂いた方の中には、母親の亡くなった事をブログにして、不快に思う方も、入らっしゃると思います。私自身も、書き進めながら、それを感じていました。それでも、母親が亡くなった事は、忘れる事は有りませんが、その当時に有った事を、更に掘り下げて思い出す良い機会になったと思っています。改めて、書いて行く事で、心に刻めた気もしています。

この文章が、同じ様な環境に有る方の、何かの足しになれば幸いです。

有り難うございました。

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